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ロマンチック街道の話 その2


このロマンチック街道、何を持ってロマンチックとするか?「ロマンス街道」というお客様
もいらっしゃるし、ローマに通じるのでロマンチック街道である、と言う案内をしている
ガイドさんもいるそうだが、まあそれはそれとして否定はしないし、自分には否定する根
拠もない。あくまでも私がお客様にロマンチック街道の話をどう説明しているか、という
ことを述べようと思う。従って、これが正解であるとは思ってはいないと同時に、まんざ
らうそでもない、と考えている。あくまでもお客様に納得してもらい、ドイツの印象をさ
らにいいものにして頂きたい、という考えから述べている。お客様は歴史の勉強に来たわ
けではないのだから。

という訳で、ロマンスの事をドイツ語では「ROMANZE(ロマンツェ)」と言い、あくまでも
「ROMANTISCH(ロマンティッシュ)」であり、「小説の中に出て来るような」という意味で
ある。日本では、「男のロマン」などという表現をしたりするが、このロマン、ドイツ語
では「ROMAN(ロマーン)」と呼び、「小説」という意味なのです。音楽の世界ではシュー
ベルトあたりから始まる「ロマン派」というのを中学校で教わった。何がロマン派なのか?
そしてなぜロマン派と呼ばれるのか、おそらく教えている方もあまりよく分らなかったの
ではないか、と思っている。

このロマン派が出てきたのは約200年ほど前のことである。歴史的には、1978年に
フランス革命が起き、その後にナポレオンが登場して、フランス軍がヨーロッパ中を引っ
掻き回し、それまで900年ほど続いていた「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」‐約200の
諸侯と85の帝国自由都市(ハンザ都市ブレーメン、ハンブルク、リューベック、あるい
はアウグスブルク、ローテンブルクなどに代表されるひとつの町がひとつの国であり、大
商人が寄り合いを作り自分たちで自治を行なう、というシステムを取っていた町があり、
同様に日本にも堺という町があった)があり、合計約300ほどの国に分かれていて、そ
の頂点にオーストリアのハプスブルク家が皇帝として頂点に立っている、非常に緩やかな
集合体を作っていた。これがナポレオンによって崩壊させられ、ドイツ全土がフランスの
傘下に置かれてしまうことになった。この時代がフランスの占領下に置かれた、というこ
とで政治的には最も暗い時代だったのだが、文化的には花が咲き始めた時代でもあった。
いわゆる文化人と呼ばれる人たちは、「古くから宗教と政治が分離して統一がなったフラ
ンスやイギリスに遅れを取ってしまった駄目なドイツ、遅れたドイツ。結局はそのために
外国の傘下に置かれてしまったのだ。」と嘆き悲しむことになった。「いやいや、嘆き悲
しんでもいられないだろう。位までこそフランスに蹂躙されてはいるものの、もともとド
イツ人というのは世界でも非常に優秀で、文化的にも政治的にも引けを取らない、取らな
かったはずだ。我々はドイツ人としての誇りを忘れないように、今こそドイツ人としての
誇りを取り戻す時がやってきた。」というわけで、「本当にドイツ的なもの」あるいは「民
族、独立、統一」をテーマに分化活動を始めるのだが、それをどこに求めたか、と言えば、
「中世」に求めた。騎士階級が活躍した頃、十字軍遠征があった頃はドイツがヨーロッパの
文化的、政治的中心であり、皇帝の下に皆がまとまっていたではないか、という訳で、こ
の時の話を題材にして文化活動を始めたのである。

フリードリッヒ・シラーはスイスの「ウイリアム・テル」伝説を元にして創作をした。シラー
はスイスに行ったことがないらしいが、このウイリアム伝説がドイツの独立、民族運動、
統一というテーマにふさわしい、ということでこれを戯曲化し、後にロッシーニがオペラ
にすることになる。

ゲーテは実在の片腕の騎士「ゲッツ・フォン・ベーリッヒンゲン」の戯曲を書き上げ、デビ
ュー作とした。そして日本ではあまりなじみのない人達ではあるが、アヒム・フォン・ア
ルニムとクレメンス・ブレンターノはハイデルベルクに滞在していた時、「子供の不思議
な角笛」というドイツの歌集を編纂し、この挿絵を書いたのがグリム兄弟の末弟ルートヴ
ィッヒである。この歌集に影響を受けてドイツのメルヘンを集めたのがヤコブとウィリヘ
ルムのグリム兄弟である。

一番分りやすいのが音楽の世界であろう。いわゆる「ロマン派」と呼ばれる時代、フランツ・
シューベルトはゲーテをはじめとするドイツの詩に作曲をし、ドイツの詩のすばらしさ、
音楽のすばらしさを民衆に訴える。そしてカール・マリア・フォン・ウェーバーは「魔弾の
射手」というオペラを創作する。これはドイツ人がドイツを舞台とし、ドイツ語で書いた
最初のオペラであり、このオペラが上演された時は一大センセーションを巻き起こした、
と言われている。観客は「自分たちの忘れていたドイツの世界がこんなすばらしいもので
あったのか。」と感激し、超ロングランとなる。今で言うミュージカルで言えば屋根の上
のヴァイオリン弾きか?このオペラが最高潮に達したのは、何といってもワーグナーのオ
ペラであろう。ジークフリート、ワルキューレ、ラインの黄金、パルシファル、タンホイ
ザーその他。すべては中世の英雄伝説、あるいはそれに類する物語から取ったものである。
日本で言えば、源義経、武蔵坊弁慶、秀吉のようなものであり、早い話が「大河ドラマ」
というわけである。

それではその中世の物語にふさわしい場所がないか?と探す人たちが出て来るのは当然で
あろうし、そういう所に、それこそ「ロマンを求めて」行ってみたい、と考えるのはあたり
前である。それまでは非常に貧しかったが故に中世の町並みが残ってしまった、という町
が脚光を浴びるようになり、鉄道も通り、温泉の効用も認められ、そして旅行をする事が
一般的になって来たことも手伝って、観光客が訪れるようになる。

ドイツの戦後の高度成長時代は1950年代の後半あたりから始まるのだが、1955年
にドイツ観光局が休暇で旅行する人たちのために、色々なコースを考えだし、それにそれ
ぞれ名前をつけたのだが、この中世の町並みが点在するヴュルツブルクからドイツの南端
フュッセンまでの田舎道をロマンチック街道と名づけ、1970年代から日本に大々的に
宣伝をしはじめた。そして1985年あたりからは日本人の観光客が大勢訪れるようにな
り、何を隠そう、今ではローテンブルク、フュッセンの人たちは日本人に足を向けて寝れ
ないほどにやって来るようになった、という訳である(これホント)。

日本では大河ドラマで、たとえば、「織田信長」を放送したとすれば、どこかの旅行会社
が「織田信長の歴史をたどる」という感じでバスツアーを募り、長良川の鵜飼を見て、名古
屋城を見学して、おいしい味噌カツ丼を食べて、きしめんをお土産に買って帰る、という
事を、ドイツでは、「ロマン」あるいは「オペラ」という形でやっていた、という説明を私は
日本からのお客様にしている。あくまでもドイツのロマンチックは「中世の物語」から来て
おり、ロマンチック街道は「その町並みが並んでいる街道」という意味なのです。