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今夜の番組チェック

ベルリンの壁の話 その9
ベルリンの壁は開けられ、東西ドイツの国境検問所の往来もほとんど自由になった(誤解
してはいけないのだが、まだ国境は存在していたし、ヴィザの取得も必要だった)。
壁が開いた、というニュースは世界を駆け巡り、いずれも歓迎されるべき事件として受け
入れられた。
これが引き金になって、東ヨーロッパの社会主義国は次々に崩壊の一途をたどることになる。
結局は、ゴルバチョフがお膳立てをし、ハンガリー、ポーランドなどが試食し、東ドイツが
大食いを始めたら、他の国もいっせいに食べ始めた、とでも言えばいいのだろうか。
全てはゴルバチョフのおかげである。これがその前のブレジネフ、チェルネンコなどの時代であれば、
当然1968年のチェコスロバキアと同じ結果になっただろう。1989年の中国での天安門の場合は、
12億人の人口を抱え、そして絶対的に貧しい国でもあるがゆえに、あのデモをなすがままにして
いたならば、学生たち要求する自由化、民主化を要求するようなものではなく、結局は略奪、
破壊行動を伴う暴動が起きていただろう。だからといって、発砲しても良いという理由にはならないのだが。
東の国境が開けられてから、チェコスロバキアでも改革を求めて大規模なデモンストレーションが行われ、
それが他の国々に伝播して行った。その詳しいことはすでに忘れてしまっているし、その資料も
手元にないので詳しくは述べられないのだが、個人的には最後はルーマニアだろうと思っていた。
独裁者チャウチェスクによるこの国の様子を、東ドイツにルーマニアから出稼ぎに来ていた人たちから
聞いていたのである。この国は非常に貧しく、常に食料が不足しており、彼らは夏の休暇時にはもちろん、
あれこれ理由を作っては本国に帰り、東ドイツから、コーヒーやその他の食料品を持ち帰り、逆にあちらでは
比較的安いクリスタルグラスなどを持ち込んで東ドイツで売りさばいていた。どちらかといえば、こちらの方が
本業のようなものであった。彼らの話では、「肉などは見たことがなかった」タイプライターでさえも、
所持していた場合には、警察に届出をする必要があったと聞いている。
東ドイツのシュタージどころではない。東ドイツでは、いくらなんでもそこまではひどくはなかったのである。
12月16日、北ルーマニアのハンガリー系民族が多いテネショヴァという町でデモンストレーションが起こり、
それに警官が発砲して多数の死者が出た。12月21日、首都ブカレストで彼は大勢の群衆の前で
演説を始めたのだが、この群衆は、実は「やらせ」のために集められたものであった。
ところが、誰かが、「チャウチェスクを倒せ!」、と怒鳴り始め、それが瞬く間に広がった。
チャウチェスクは「一体どうしたのだ?」、と群衆に叫んだが、怒号はさらに強まり、もはや静まる様子はない。
その時のチャウチェスクの狼狽ぶりがフィルムに記録されている。手を横に振りながら、あわてて発言を止め、
そのままバルコニーの陰に姿を消し、ヘリコプターで避難した。これがきっかけで大規模な暴動に発展し、
軍隊はテレビで、民衆に付くことを宣言した。そしてあちこちで、軍とチャウチェスクの私兵とも言うべき、
「セクレターテ」とが発砲し合い、国内は完全に混乱状態に陥った。
「食べ物が欲しい!」とカメラに向かって叫んでいる光景が記録された。その後、チャウチェスク夫妻は逮捕され、
即時裁判にかけられ、死刑を宣告されて12月26日に銃殺された。
彼自身も現実を全く見なかったようだし、見ようとしなかったのだろう。裁判では、最後に、「この様な裁判は
認めないぞ。ルーマニアほど豊かな国は世界中を探してもないのだ」と発言したのだった。
まさか銃撃を伴う内乱が起こるとは考えても見なかったことであった。
この国がいかに貧しかったのか、いかに国民をないがしろにしたのかを目の当たりにしたのは、
1990年の春にベルリンを訪れた時であった。多くのルーマニアから逃げて来た、いわゆるジプシーたちが
西ベルリンのショッピング街クーダムで乞食をしていたのである。
それも3〜4歳ぐらいの子供たちが、裸足でぼろをまとって弾けもしないバイオリンをかき鳴らしながら
乞食をしており、その側で親らしき大人が黙って、あるいはビールを飲みながら監視していた。
なんちゅう親や、と思うと同時に、かなりないがしろにされたんだな、と思ったものである。
数週間後、このジプシーたちは町から姿を消した。おそらく西ベルリン当局が、どこかの宿泊施設に収容したのだろう。
1989年、90年の時点では、全く予想もしていなかったことであるが、後にチェコスロバキアはチェコと
スロバキアに、ユーゴスラヴィアはスロヴェニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどに分裂し、
戦争が起きたのはご存知の通りである。
全ては民族や宗教の違いによるものであろうが、それまでは仲の良い隣人同士であった人たちが、
お互いに全く危害を加えたこともないにもかかわらず、掌を返したごとく敵対するということは信じられないのだが、
このような現象は、チャウチェスク政権が倒れてまもなく、ルーマニア人がハンガリー系民族に対して暴力を
振るったり、統一後のドイツでも、ネオナチに限らず、ごろつきどもが外国人住居に放火をしたり、在住のアフリカ人を
撲殺するなどという暴力事件が頻繁に起こった。これは今に始まったことでもない。ドイツ人が過去に、
それまで良き隣人だったユダヤ人を、突然避けたり、罵ったりしたばかりか、あまつさえ、絶滅させるべく
行動を起こしたことがある。ネオナチと称される、このような行動を取っている本人たちは、「俺たちに外国人は
要らない」、あるいは、「外国人が俺たちの仕事のチャンスを奪っている」、という言い分なのだが、所詮は鬱憤晴らし、
やっかみ半分、弱い物いじめに過ぎない。「小人、閑居して不善を為す」と言われる通り、人間、金も仕事も
なくなると、ろくなことはしない。こういうごろつきこそ、強制収容所に入れてしまえばいいと思うのだが。